ラスアス2ブチギレお気持ち文章 -なぜラスアス1原理主義者である俺がラスアス2をぶっ叩くのが止められないのか-
イライラしすぎて放置していたラスアス2をクリアして3日ほどたったが、未だに心のなかでラスアス2を消化しきれない。
理由としては俺がキモオタクなのが一つ。
もう一つは「ジョエルが死んだから批判してるんでしょ?w」程度のレッテル貼りが横行していることだ。
(海外のでは「ラスアス2叩いてるやつはホモフォビアのセクシストでインセルのチー牛!w」なんていうレッテル画像が跋扈する次第だ。こんなんは批判でも批評でもなく単なる誹謗中傷に過ぎない。)
というわけで、キモオタ特有のお気持ち文章が無限に生成されてしまうので、ここに書き写すことにする。
単にジョエルが死んだから、ポリコレだから、などという表面的理由で批判している奴ばかりではないと言うことを知ってもらえれば幸いだ。
ちなみにこれらは俺の思いつくままのツイートを、コピペして体裁を整えただけの文章であることは、先に言い訳させていただきたい。
記憶違いがあっても責めんといてくれ。
ラスアス2の俳優に殺害予告とかしてないし…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラスアス2の最悪な点の一つに、ラスアス1の完璧なラストシーンに泥を塗ったということがある。
俺はラスアス1のラストが大好きなのだが、思うにインセプションのラストと似てると思う。
(説明のために「インセプション」のネタバレが含まれることに留意してほしい。一応インセプションを見てる前提でこの文章は書かれている。あとラスアス1、2のネタバレももちろんある。流石に言う必要はないと思うけど…)
映画「インセプション」では、冒頭で主人公は独楽に対する恐怖にも似た執着をしていたのにも関わらず、ラストではそれをかなぐり捨ててしまう。
それは執着していた“現実”というものが非常に移ろいやすいものだということに主人公が気づいたからだ。
諦観とも甘受とも言えるこのオチは非常にSFでありながら、感傷的でロマンがあって味わい深いと思う。
そして、ラスアス1のラストもそれによく似たものと俺は受け取っていた。
ラスアス1のラスト、エリーは最後に「ファイアフライの基地で起きたことは全部ホントだと約束して」とジョエルに言い、ジョエルはそれに答え、エリーは「わかった」とだけ答え、エンドロールにはいる。
このシーン、違和感がないだろうか。
ラスアス1とそのDLCをやればわかるが、エリーというのは非常に聡明でタフな精神を持っている女の子である。、
「エリーをファイアフライに届ける」
というのはエリーの育ての親であるマーリン自ら、ジョエルに頼んだ仕事であり、様々な犠牲や人々の協力なければ、研究所まで辿り着くことは不可能だっただろう。
その旅のもつ“意義”はエリーが一番わかってたはずだ。
ところがそのエリーはファイアフライの研究所に着いた途端眠らさせられ、何もなかったように車に乗せられ意識のないまま帰路についている。
しかもエリーは検査衣のまま車に乗せられており、さながら何かに追われ慌てて連れ出されたようではないか。
「エリーをファイアフライに届け抗体からワクチンを作る」という話を持ちかけたのは、何を隠そうファイアフライそのものだ。
にもかかわらず、ジョエルの話では、
“ファイアフライの研究所にはたくさんの抗体を持つ人間がいて、エリーの抗体は必要がない”
のだという。
死の危険と隣り合わせの旅をさせた組織とは思えない言い草だ。
長くなったがつまりここで言いたいのは、
『「ワクチンのために命からがらアメリカを横断したけど抗体を持つ人は至るところにいるので、この旅には意味なかったよ」
などというジョエルの苦し紛れの誤魔化しをあのエリーが鵜呑みにするわけがない』ということだ。
いくら麻酔のあと、そして旅が終わった安堵感に満たされていようとも、こんなバカげた話をマジに受け取るバカがどこにいるのかという話だ。
ましてやエリーの賢明さと頑固さからいって、口下手なジョエルのでまかせに異議を唱えないわけがないだろう。
しかし、実際エリーはジョエルに突っかからなかったのだ。
それどころか気のない返事をしながらジョエルから背を向け寝そべってしまった。
まるで「ジョエルの下手くそな嘘には全く興味がないよ」とでも言うように。
そして改めてエリーはジョエルに尋ねる。
いや、尋ねるというよりそれはむしろ“詰問”という方が正しいだろう。
「ファイアフライの研究所であったこと(ジョエルが語ったこと)に嘘はないと誓って。」
ジョエルはまた嘘を重ねる。
「誓うよ」
そんな不器用なジョエルの嘘に対してエリーは短く、
「分かった」
と一言だけ返すのだ。
一年以上の長きにわたったジョエルとの旅。
自分の知らぬ間に“起きた”辻褄の合わない研究所での話。
そしてジョエルのどこか据わった態度。
エリーのこれまでの旅路や違和感や不安、不信をひっくるめて絞り出すような一言が、
「分かった」
なのだ。
もうこれ以上言葉も説明も必要はない。
なぜならエリーもジョエルも「インセプション」でいう『独楽』を捨て去ったからだ。
ジョエルが嘘をついていようがいまいが、そこは全くもって焦点ではなくなってしまったのだ。
正義や倫理や真実のその先に価値を見出したからだ。
だからこそラスアス1のラストシーンはこれほどまでにオンリーワンであり胸を打つのだ。
にもかかわらず2ではその真相をわざわざエリー自ら詳らかにしてしまった。
これほどまでの蛇足が他にあるだろうか?
インセプションのオチが
「実は夢/現実でした!!」
みたいな凡庸なものだったら、それだけで評価はガタ落ちだと思うが、そういう無粋な真似をラスアス2は、ノーティドッグは行ったのだ。
深淵かつ豊かな余韻をもつ、こんごもゲーム史に語り継がれるはずであったろうラスアス1のラストシーンは、
「エリーはジョエルの説明や現状との明らかな矛盾や違和感に気付いていなかっただけのただの馬鹿でした」というクソみたいなシーンに成り下がったのである。
(あるいは最初からラスアス1のラストシーンには
「エリーとジョエルは信頼関係があるから、どんなに無茶苦茶な話でも信じちゃうよ!!」
くらいの意味しかなかったのかもしれない…これはかなりがっかりだ…)
まあ、アビーパパを1で殺さないと先に進めないという仕様から言って、俺のラスアス1に対する読みはすべて間違っていた説も濃厚なんだけど…
だとしたらラスアス1から大した作品じゃなかったということなので、一応踏ん切りはつくのでありがたいっちゃあありがたいが…
エリーやジョエルの表情から言って、この読みはそんなに的外れではないとは思うのだが。
さんざん思いつきで書き散らしたが、ラスアス2批判の「ラスアス1を蹂躙している」という批判は、ジョエルが死んだとか、エリーがわがままレズだとか、アビーが金髪辮髪ゴリラだとか、そうした表面的なことだけではないということが言いたかったのだ。
2アンチは確かにジョエルが死んだことに過剰反応してるフシがあるが、2擁護者も2を批判してる奴らのことを軽く見て、視野狭窄になってることは否めないだろう。
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コピペ終わり。
我ながら後半何を言っているかわからない…
深夜テンションと工事の音で眠れないからと言って、こんな完全なるお気持ちテキストを書くものではない。
そんなことよりゴーストオブツシマ楽しみだね。
フライパンメーカーに告ぐ
単刀直入に言おう。
鉄フライパンにシリコン塗装するな。
これである。
なんのこっちゃわからないと思うので説明する。
フライパンには大概何らかの塗装が施されている。
ニトリなんか行く色とりどりなフライパンが並んでいるのがわかると思う。
これは裏面の話だが、直接食材に触れる表面も例外ではなく、フッ素だのダイヤモンドコーティングだのセラミックだの、各社意匠を凝らしている。
そしてそのことを念頭に入れつつ、単刀直入に言おう。
ありとあらゆるフライパンコーティングはクソだ。
しかし、料理を簡単にし、油を敷く必要もない、手入れも簡単になるコーティングの何がいけないのか?
そういう声もあると思う。
不可能だという点に目をつぶればよぉ〜〜
まず、コーティングは爆速で剥がれる。
様々なコーティングフライパンを試してきた自負がある。
取っ手が取れて、鍋の温度が見られるとかいうアレ。某シャンソン歌手兼料理研究家のもの。ヨーロッパの有名メーカーのやつ。
軒並みクソである。
蛆虫の陳列場である。
よって最良はニトリの安いフライパンをだましだましとっかえひっかえ使うのが一番だ。
そして空焚きも出来ない。
思うにテフロン加工のフライパンが、バカな主婦が料理というより野菜の焼死体みたいな野菜炒めを出してくる原因の一つだと思う。
そして空焚き出来ないだけでなく、“中火以下でご使用ください。”との文言がちっさく書いてあったりする。
なぜ、フライパンにお伺いを立てながら料理をしなければならないのか?
金属の塊風情が厚顔無恥にもほどがある。
よって、最善手はそういったコーティングのなされていない鉄フライパンを使うことだ。
しかしながら、ある時、向上心のない、野菜を逐一無駄にし続ける主婦が言ったのであろう。
「鉄フライパンはコーティングがないから使いにくい😡」
主婦は言った。
「そこにコーティングあれ」
するとコーティングがあった。
…
テメーみたいなでくのぼうが鉄鍋使ってんじゃねぇ!!!
ル・クルーゼでも使って、デパ地下の惣菜盛り付けて、インスタに上げてろバカアマ!!!!!
という話でした。
バカな主婦に告いでしまったな。
焼き切るかなぁ…シリコン煙になってヤバそうだよなぁ…
相模湖某所の廃ペンションに行った
久方ぶりの廃墟活動、“ハイカツ”は、少し足を伸ばして相模湖まで行きました。
都内からそこまで離れてもおらず、それでいて自然と静寂を味わえる相模湖は、中々出掛けるのが憚れられるこの時期にピッタリな行楽地という所感がある。
その一方でその豊富な自然と一抹の寂寞は日が落ちるとその姿を変える。
人の都合など知ることなく勝手気ままに生い茂る木々は、立ち入ろうとするものを阻み、隠してしまうような圧迫感がある。
また、少し行楽地を離れれば、バブル時代の名残りだろうか、人の手を離れて久しい人工物が数多くあることに気づく。
今回向かったのは、そんなに時代に建てられたペンションである。
蛇のように畝る道を通り、木々をすり抜けていけば唐突にその建物は姿を顕す。
山奥の緩慢な享楽と尽きせぬ渇望の残滓。
そうした人の業を戒め、そして見せつけるかのように、容赦無く自然はこの異質な人工物の輪郭を際立たせる。
正直、こうした本格的な廃墟は初めてだったのでかなり気圧された部分があったが、心を落ち着け扉の前に行く。
ちなみに見えにくいが隣のドアには
『コロナウイルス Neverdie』
と書いてある。
色々突っ込みたい部分はありつつも、いい感じに肩の力が抜けて有り難い。
中に入るとすぐテーブルがあり、その上にはウイスキーと固定電話、観光雑誌があった。
雑誌の紙面を見ると2006年で時が止まっている。
その一方でウイスキーは3割ほど残っていて、またその配置にも造作的な印象を抱いた。
実はこのペンションのホームページが残っており、そこには2013年時点で「リニューアル中」との文言がある。
また、未だに予約サイトで予約することも可能だ。
明らかに“死んでいる”建物なのに、オーナーや我々のような闖入者がそれを認めない。
頸を刎ねられた後、1年半生き続けた鶏に似ているなと感じた。
部屋の中を見てまわると、子供の落書きやシール遊び、ここには写っていないが三輪車などを見つけた。
宿泊客が部屋の壁を汚したりはしないだろうし、何より厄介そうなオーナーがそれを許しはしないだろうから、おそらくオーナーの親族だろう。
思うにこうやって人を俯瞰できるのが廃墟の魅力ではないだろうか。
地下に行くと大量の落書きがあることに驚いた。
廃墟に落書きなんて比翼連理の二人だろう、と思う人もいるだろうが、上階にはほとんど落書きがなかった(暗いので見落としたかも)ので、些か唐突なご登場だったのだ。
子供の落書きに配慮したのだろうか?建物に闖入し損害を与える割には慎ましさがある。
人のことは言えないが…
きっとそれなりに美学があるんだろう。
屋上には露天風呂が併設してあり、『モーツァルト広場』と名がついていた。
(オーナーはモーツァルトを3曲くらいしか知らないんだろうな)と思える広場だ。
また、露天風呂はどう贔屓目に見てもビオトープにしか見えない。
衛生的な不評が絶えなかったらしいのもうなずける。
客室や浴場はこれと言って見るところはない。
小汚いが窓が多く閉塞感が少ないのは宿泊客だったら嬉しいだろう。
謎の海物語は流石に唐突すぎるので誰かが持ち込んだのだろうか?
それともパチンココーナーがあったのか?
あと、いま写真を確認して気付いたのだが、家具やテレビ、寝具が全く無い。
そういったものはすべて持ち出したのだろうか?
だとすれば、本気でリニューアルをするつもりだったのだろう。
それは叶わなかったようだが。(近隣の所有者が同じビルには不良債権の書類がポストに無造作に突っ込まれていたらしい。)
というわけで、充実のうちに廃墟探索は終わった。
総評するとすごく初心者向きの廃墟だったと思う。
上にも書いたが、窓が多いのでそんなに閉塞感は感じず、負のオーラみたいなものも少ない気がする。
俺は美輪明宏でもないので完全な勘だが。
また、床もしっかりしているし、ものが散乱しているわけでもない。怪我のリスクも少ないのではないだろうか。
また、屋上は見晴らしがよく、星もよく見えた。
インスタバカに受けも狙える。
また、だだっ広くないのも良い。
それでいてバリエーションに富んだ部屋がたくさんあり見て飽きない。
小粒だが中身が詰まっていて見ごたえがある。
2,3人で行けば全く恐怖を感じずに落ち着いてみて回れるのではないだろうか。
最強のギターピックが決定しました。
結論から言うと、これです。
IBANEZ ( アイバニーズ ) >JTC1 JTC Pick | サウンドハウス https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/264046/
俺のピック遍歴は、
アイバニーズのぶつぶつのゴムが付いたやつのHeavy。家にあった。
今も使ってるし、使いいいんだけどゴムが音速でなくなるし、品薄っぽい。そういや最近見かけない。
音速の豚貴族こと、ジムダンロップのイングヴェイマルムスティーンのやつ。
インギーばかり聞いていた時期があった影響で。
厚さは2mmとめちゃめちゃ分厚く最高に弾きづらい。
あろうことか本人はこれ使っていない説がある。あのホラ吹き貴族が。
インギーの話は話半分に聞こう。
JIM DUNLOP ( ジムダンロップ ) >Yngwie Malmsteen Pick | サウンドハウス https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/47313/
ジムダンロップのBig stubby、3mm。
お気に入りで結構使ってた。
ただ、弦に引っかかりを感じ、新たなる弦を探し始めた。
JIM DUNLOP ( ジムダンロップ ) >BIG STUBBY/3.00 | サウンドハウス https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/109706/
さっきのよりちっさいStubbyの3mm。
形式的には上のがBigでこちらがノーマルのはずなのだが、ノーマルはめちゃめちゃちっさい。
親指くらいしかないイメージ。
こんなので良くバッキングを弾こうと思ったな。
ちょいちょい薄いやつにかえてみたりもしてた。
そしてこちら、泣く子も黙るV-pick。
部室に落ちていたので使ってみたところ、あまりの引っかかりのない弾きやすさ、吸い付きに驚愕。
凄まじく硬いアクリルらしく、またカットも工夫されてるらしい。
一章使い続けようとも思った。
しかし、実はこの一枚で500円を超えるのである。
たかだかプラスティックを切り抜いただけでなんでそんな値段がするのか理解に苦しむ。
おまけにあんまり取り扱いがない。
そして驚愕の視認性の悪さ。透明で完全に背景と同化するので、一度見失えば最後二度と出てこない。
ADHD障害者には完全に向いていないが、弾きやす差には買えられないので何枚も買っていた。
しかし、そのV-pickの殿様商売に待ったをかけたのがこいつだ。
IBANEZ ( アイバニーズ ) >JTC1 JTC Pick | サウンドハウス https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/264046/
ふらっと立ち寄った楽器屋においてあり、V-pickと似た見た目に惹かれ購入。
アイバニーズとJTCというオンラインギタースクールとのコラボ商品らしい。
こいつはV-pickの弱点をほとんど抑えている。
まず値段は150円くらいで1/4に抑えられている。他のピックと大差ない金額で、なくしてもそんなに凹まないと思う。(V-pickはなくすとめちゃめちゃ気分が落ち込む)というか値段はV-pickが高すぎるだけではあるが。
そして、V-pickには独特のアタック音(「ぎゅぴぎゅぴ」というのが表現として一番正しいだろう)があり嫌う人もそこそこいるのだが、JTCピックにはそれがない。
そして、ピッキングのスムーズさはV-pick以上だと思う。
また、このピック、全く削れない。
Tritan™という謎の物質を使っているらしいが、全部のピックはこれを使うべきじゃないか?
引きこもりなのでひねもすギターを弾いていたりするのだが、全く削れる気配がない。
最近はカッティングに凝っているのでゴリゴリ弾きまくっているつもりなのだが、何ヶ月か使っているのに弾き心地が変わらないのだ。
弾いているとエッジは少しなくなるが、却ってそっちのほうが引きやすくなるし、その弾きやすい状態がかなり長く維持される。
V-pickは高いくせに結構ゴリゴリ削れるので、ここは大きな差だろう。
惜しむらくは、カラバリがないことだ。
相変わらずこの手の透明ピックは背景に完全に紛れ込み、ソファーの隙間などに潜り込み日の目を見ることなく埋もれていくことになるので、色を付けてほしい。
ブランドのプリントは入れられるのだからそれくらいできるだろう。
また。細長いティアドロップ型しかないのもネックだ。
俺はこの形が大嫌いなので、トライアングル型や上にあげた青のアイバニーズピックのような、比較的寸胴なタイプの形のものも出してほしい。
なぜ。JTCとかいうわけわからんコラボ商品として出てきたのだろうか…商品展開がしにくくなるじゃないか。総恨み節をぶつけたくなる程度には完成度が高いと思う。
ちなみにお気づきの方もいるかも知れないが、俺は基本的に極厚のピックしか使わない。
ぺろぺろの紙くずみたいなピックを使ってる人はこのピックも嫌いだと思う。
あくまで、アクリルの分厚いピック(Gravityとかいうのも同系統かな)が好きな人向けだ。
なにはともあれ、べっ甲とか高級素材でもないのにも関わらず1000円近いピックを出してるメーカーは完全にバカなので、我らがアイバニーズ様がそうしたメーカーを完全に駆逐し尽くす事を祈る…
…企業からお金はもらってないのであしからず。
アイバニーズのセミアコほしいな。
「エチオピア」のビーフカレー
驚くことにサラリーマンが昼食に掛ける平均的な時間はおよそ21分程度らしい。
俺は松屋でさえ悩む。
勿論、最初は牛丼のつもりで入店する。
しかし、“牛丼の口”を抉じ開けるように目に飛び込む魅力的な数々の商品。
散々時間を掛け、店先で悩んだ挙げ句、カレーを頼んでいる。
いいとこ、カレー牛が関の山だ。
(ネギ玉牛丼が良かったかなぁ…)
とか全くもって後の祭り。
無意味な逡巡の後、気付けば40分くらいは経っている。
「40分は盛すぎだし、計算が合わない!嘘松!!」
と思われるかもしれないが、それは早合点だ。
何故なら松屋にたどり着く前にも悩んでいるからである。
大概ネパール人がやってるカレー屋と悩んでいる。
そう、牛丼屋に入りつつも、無意識下ではカレーを求めているのだ。
飯を食うだけなのに、ディズニーランドのガジェットコースター(しょぼくて小さくてやたらと横Gがかかってヘッドレストに頭を強打しがちなアレ)並みに並んでいる人間がまともな職につけるのか。ゾッとしてきた…
とは言いつつも、やはり“栄養補給”のような食事は虫が好かない。
だとするならば、ソイレント(完全栄養食)でも作って飲み干してればいいのだから。
そしてそういったオートメーションと対極にあるのがインドカレーなのだ。
提供が大概遅い。
何もかもが熱い。
割と奥まったところにあったりする。
ナンを無限に食わせようとしてくる。
ラッシーをやたらと勧めてくる。
そして半ば強制のラッシーが割と高い。
そもそもそんな安くない。
……
だが、これでいい。
ロハスだのヴィーガンだのより、よっぽどスローフード感がある。
全然違うラッシーが来たり、どこも似たような味だったりするが、今のところそういうのにブチギレている人は見たことがない。
なんというか、ちょっとした日常における余裕がないと食べられない。
現に食いに行った今、俺のメンタルは悪くないし。
と、前置きが長くなりまくったが、ようやく有名店に行けた。
電車を乗り継ぎ、クソさみい外で待ち、お金を崩してもらうときに凄まじく冷たい視線を浴びせかけられながらありついたカレーだ。
結論から言えば、めちゃめちゃ「勉強になる」味わいだった。
言ってしまえば、、俺はカレーマニアでもなんでもなく、“美味しいカレーを家で食いたい”だけなのだ。
そんな訳で超有名店くらいは何軒か行ったことがあるのだが、どれもこれも“店で食うからうまい味”な気がする。
根強いファンのいる他の有名店は、確かに美味しいことは美味しいのだが、エグみやクセ、難解さが奥底にあるような気がする。
「カレーの有名店だぞ」という自負が滲み出ていると言えばいいだろうか。
俺が欲しいのは“家で作って美味いカレー”なのだ。
そういう点、エチオピアはなんというか包容力がある味わいで親しみやすい。
スパイスが本格的なのは言うまでもないが、クセが少なく、爽やかでしつこくない。
おそらくペーストの野菜や果物がベースだと思うが、旨味と甘味とコクが第一にあり、スパイスがそれをまとめ上げている。
辛さも控えめ(忙しいから適当だった説もある)で、最大公約数的な美味しさがあったと思う。
誤解を恐れずに言えば、「カレー好きが家で作るこだわりカレーの臨界点」ではないかなと感じた。
Bobby Humphreyの記事より真面目になってしまった。
カレーで食っていこうと思います。
今日聞いたアルバム:Bobby Humphrey『Flute-In/Ain't no sunshine』
長年、音楽をdigる方法は3択に絞られていた。
まず、レコ屋に行きヴァイナルを“dig”ること。
大量に並べられたヴァイナルの層を手で掻き分け、己の嗅覚(ジャケ買いとも言う)で当たりを掘り当てる。
“dig”という単語をレコード探しに当てはめたやつはめちゃめちゃ喩えツッコミや大喜利に天賦の才があるはずわ。
ただ、やればわかるがあれはかなり体力を使う。
良さげなやつも割に高かったりする。
そもそも、最近はそんなことをこれ見よがしにすることに鼻白んでしまう。
『レコ屋(笑)にいきヴァイナル(笑)の層を…』とか茶化そうかと思ったほどだ。
第二に友達の話を聞く。
ある程度、音楽に関心がある友人――ほっときゃ一晩中いい音楽について喚き倒してしまうような先輩――とつるむ。
酒でも入れば、吐き散らかすかのように様々な音楽を教えてくれる。
ただ、やはり問題点がある。
趣味が合わない場合だ。
大体この手の先輩は博覧強記で、野猿の如くジャンルレスで食らい付くしている。
テンションと雰囲気が合えば無限にdigれるが、風向きが変われば食指の伸びない話題になる。
それはそれで面白いし否定するつもりは毛頭ないが。
翌日になり、祭りの後の心地よい喪失感に揺蕩い、あるいは文字通り胸の奥から込み上げる熱情に絆されながら、
「梅水晶って初めて食ったけどクソうまいな!」
などと、間抜けな感想を抱くのみになってしまう。
最後は地道に調べること。
『レコ屋(笑)でヴァイナル(笑)』がシールド工法(知らん人は知れ)で掘り尽くすのであれば、こちらは考古学者のように筋道を立てて掘り進めるようなものだ。
気に入ったバンドのベーシストのバンド、その前身バンドのプロデューサーが手掛けたアーティスト、を親の仇ほど貶した奴のバンド、のアルバムジャケットを担当したやつが手掛けた他のアルバム…等々。
キモオタ陰キャは何かをカテゴライズしたり、瓶にレッテルを貼ってコレクションしたりすることが遺伝子レベルで決定されている。
よって俺もこれが好みだ。
など気取りに気取りきった文章を書くつもりは無かった。
流石にキモすぎて消そうかと思ったが、スラスラかけてしまったのが運の尽きで、もう原稿用紙2枚を超えてしまった。
結局言いたかったのはYou TubeやSpotify、その他おすすめ音楽検索サービスがめちゃくちゃ凄い、怖いという話だ。
現在、俺はAIの言いなりに音楽を聞いている。
もうこれはdigではない気もする。
しかし、結局の所、我々素人はそんな形式的なことにこだわる必要はない。
好みの音楽が見つけられればいいのだ。
『レコ屋(笑)でヴァイナル(笑)、クラブでchill(笑)、ナンバガ再結成でエモエモ(笑)』なんてことは石左にでも任せておけばいい。
そして俺がBASEMENT TIMESで記事を書き、食い扶持を見つけられればゲームクリア!という算段だ。
レコードノイズ混じりのLow-Fi Hip hopでバズれば104%クリア!クランキーコングも大喜び。
脱線しすぎて戻れない。
そうそうBobby Humphreyの話だ。
Bill Withersの超有名曲をインストジャズファンクアレンジ。
グルーヴィなパーカスに抑圧的なギター、そこにどこか内省的なエレピが響く。
呪術的な高揚感のあるバッキングに、不釣り合いなほど情熱的で力強いフルートが朴訥な与作風メロディを奏でる。
心地よさに目を閉じかけたときに終わってしまう曲の短さもどこか愛おしい。
その他もCarole KingやBen E.Kingといった面々の有名曲のカバーがあり、どれも出色の出来。
誰しもの愛聴盤になりうるのではないだろうか。
こんないいアーティストをおすすめするなんて、Spotify凄い!You Tube凄い!!!!
みんなも入れよな。
じゃがたらが最近入ったぞ。
映画「JOKER」の批判について思うこと ①
えらく今更な気がするが、映画「JOKER」について思ったことがあるので書こうと思う。 品出しみたいな退屈なアルバイトをしてると一度飲み込んだものを反芻したくなってくるものなのだ。
ネタバレは少しあるかもしれない。
「JOKER」はプロットがかなりわかり易く、そのメッセージの解釈も容易な(少なくとも表面的には)映画だと思う。 やはり人間がどん底から這い上がり何かを成し遂げるという流れには、得も言われぬカタルシスがあると思う。 「キルラキル」にせよ「STEINS;GATE」にせよ、「John Wick」「Avengers:End game」にせよ、ヒットする映画の要素の一つとして、“逆襲”というものは重要なファクターではないかと思う。 「Avengers」など、
avengeとは
意味 主な意味 (正当な)仕返しをする,復讐(ふくしゆう)をする,仕返しをする,かたきを討つ,あだを討つ,復讐する,返報する
そのままズバリ、である。
人間は大なり小なり打ちひしがれながら生きていくものだと思う。 個々の辛い思い、記憶が知らずしらずのうちに想起され登場人物とシンクロする。 だからこそ登場人物が逆境から立ち上がり、敵を打ち倒すさまにカタルシスを覚えるのだろう。
ただ、こうした映画は叩かれやすいのも確かだ。 俺が思うにそれは、余りにも“わかり易すぎる”からではないだろうか。
こうしたストレートな作品は、観客の思考が入り込む隙間が少ない。 言ってしまえば、アトラクションに乗るがごとく、享楽に身を委ねさえすれば楽しめてしまう。 したがって、こうした楽しみ方をしない、出来ない人、つまりは“ノらない人” “ノれない人”達は、なにか物言いをしたくなるのだろう。
実際、「JOKER」の批判を掻い摘むと、
「ストーリー、メッセージに合わせて登場人物を描きすぎ」 「オマージュ元の作品に影響受けすぎ」 「浅い」
等々言われていたように思う。(ソースはない)
確かに、『社会に包摂されない“無敵の人”の逆襲』というテーマは力強くはあるが単純だ。 この作品は「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」を受けた作品だと思うのだが、この2作品がかなり仄暗い終わり方をしているのに対して、今作のラストは比較的あっけらかんとしていると思う。
またミステリアスで得体のしれない狂気にカリスマがあるジョーカーに対して、見た人誰もが憐憫を垂れるようなキャラ設定を与えてしまえば、そのメッキは剥がれてしまうのではないか。 同様に「バットマンシリーズ」で人気の高い、バットマン=ブルースウェインを支える、執事のアルフレッドを、作品の都合上悪役にしてしまうのは、シリーズファンとしては面白くないだろう。
このように日本では絶賛が目立つ一方、こうした意見も多かったように思う。(ツイッターでは) 特にアルフレッド、そしてブルースウェインの父親であるトーマスウェインの扱いに対しての忌避反応は相当なものがあった。(ソースはない)
それはこの二者が「バットマンシリーズ」においての、いわば聖域だったからだろう。
続きはまた今度書く。 なぜなら卒論が未だに手つかずなのだ。 こんな文章を書いてる場合ではない。