宮藤官九郎に対する完全なる偏見
この一枚だけで苦虫のミックスジュースでも飲み干したような顔になってしまう。
見かけた瞬間にヤツのしたり顔が目に浮かばないだろうか?
こういう二枚目と三枚目を自由に行き来できるアピールをする男はたいていどちらにも振り切れてない。
本気で美味いとも思っていない、味の違いなどわからないスコッチの薀蓄をしたり顔で吹聴する、それがこういう男の本質なのだ。
ただ、こういう気取ったところは誰にでもあるもので、特別そこを責めるつもりはない。
「カッコつけたがり」なのにそれを必死こいて隠すみみっちさがシラケるのだ。
この広告で言えば、さんざんバンドマンだ映画だの誇示しときながら、銭湯でカジュアルダウンしようとしてるところだ。
実際、映画人として圧倒的な知名度を持ちつつ、バンドもそれなりに成功してるのだから、思う存分誇示する権利はあるはずだ。
にもかかわらず、「こんなハイソな文化人なのに、銭湯に行っちゃいますよ」みたいな自己演出が鼻につく。
そんな『ハイソ』なものの当て馬として充てがわれた銭湯が不憫である。
まあおそらくこういうしょうもない広告は代理店の仕業に違いないのだが、それでも、その『仕業』はかなり正確にこの男の本質を見抜いているように思える。
この底の浅い男は確実にこんなポスターを駅やなんかで見かけてご満悦。連れ歩いてる頭のゆるそうな女に見せつけながら、阿部サダヲとの内輪ネタを楽しそうに言いふらしている。そうに決まってる。悪い意味で一貫したストーリーがありありと浮かんでくる。
オリンピックが来たら、セックス特集やらゴシップやらと一緒にこうした中吊り広告が一掃されることを願ってならない。
ちなみに宮藤官九郎の映画は舞妓haaaaaaaaaaaaaaaaaaaan!!!!!!!!!!しか見たことないし、なんだか見てるのが恥ずかしくなって最後まで見られた試しがない。(3勝3敗)
あと、この動画。
別にBOOWYが特段好きなわけでもないけど、やっぱり恥ずかしくなる。
それでいて面白くないし、面白くないことを開き直ってそうでもある。
俺の中の宮藤官九郎イメージはポスターと舞妓のやつとNO NEW YORKの悪ふざけで出来上がっている。
よって偏見なのだ。
でもクドカンに成れたら、成る。
ノータイムで成る。
楽しそうだもん。
『クドカン』だよ?
そんなあだ名で退屈することはないでしょ。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
クドカンになりてーーーーーーー
あまちゃんつまんねーーーーーーーーーーーー