映画「アトミックブロンド」シャーリーズ・セロンが振るう圧倒的暴力。相手は死ぬ。

 

 

おすすめできる人

 

  • スナッチ」「コードネームU.N.C.L.E」「ジョン・ウィック」が好き。
  • 強くてエロい女がクソったれどもをぶちのめすことに快感を覚える。
  • 騙し騙されのスリルを味わいたい。

 

当てはまる人は少々お付き合い頂ければ。

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

 

 

バスローブに短パンという出で立ちで、男が走っている。

着の身着のまま駆け出した、という感じだ。

どうやら追われているらしい。

息も絶え絶えになりながらフェンスを乗り越え、どうにか道路に出た。

 

しかし、あたりを見回すその刹那、車が男に追突する。

車の男は二言三言男と会話を交わすも、すぐに轢いた男を殺す。

そして腕時計を男からもぎ取ると、死体は川に沈めてしまった。

 

 

 

場面が変わり10日後のロンドン。

 

氷漬けのバスタブに浸かる女がいる。エージェント、ロレーン。MI6のスパイだ。

彼女にはミッションが課せられていた。

 

事件の数日後に殺された男ガスコインを裏切った“サッチェル”。

そして奪われた腕時計に組み込まれている、ソビエトのエージェント情報の『リスト』。

この2つを見つけ出すことだ。

 

ロレーンはガスコインと写る自分の写真を燃やし、着替えるとMI6の事務所に向かう。

 

取調室でMI6上官とCIAの前で気怠げに紫煙を燻らしている。

そしてボスに事の顛末を語り始める。

 

命じられたミッション、協力者パーシヴァル、消えた『リスト』、そして“サッチェル”のことを……

 

 

 

 

 

 

感想

 

展開はえー!!!!

 

MI6、CIA、KGBや警察など、勢力が次々現れ、そして目まぐるしく展開は進んでいく。

誰が信用できるかわからないまま、一足飛びにストーリーが進んでいくので、自分みたいな映画初心者はついていくのがやっとである。

ジョン・ウィックでもそうだけど、ストーリー展開がかなり高速で、なおかつ説明も言葉数少ないものなので、ぼーっと見てると詳細がよくわからなくなる。

まあ、正直言って詳細まで考察するようなストーリーではないし、枝葉末節がわからなくても大まかな理解はできるようになっているので、そういった意味では親切な作りかもしれない。

 

あと

 

シャーリーズ・セロンつえーーー!!!!

 

 

 

いや強すぎるでしょいくらなんでも。

「いやこれ死んだな。死ぬまででなくても、捕まって007よろしく拷問シーンあるな。」

とか思えるような状況でも、かっこよさとリアリティを絶妙なバランスで両立した「圧倒的暴力」で危機を乗り越えてしまうから、虚を突かれた気分だ。

監督はジョージ・リーチ、長くアクションに携わってきた人物で、その手の演出にはとても定評があるらしい。

確かに同監督のデッドプール2ジョン・ウィックのアクション、特にバトルシーンは素晴らしい。

『かっこいい』とはどういうことか、完全にツボを抑えている。

自分はアクションマニアではないので仔細なところまではわからないが、それでもこの重さとこだわりは目を引くものがある。

言い方は悪いが、アクションシーンはまさしく「暴力」であり、「戦闘」だ。

腕力で劣る女スパイが屈強な男にどう立ち向かうか。そういった工夫を感じる。

 

中でも思わず息を呑んだのは、ワンカット(のように見せかけている。カットは入っているらしい…全くわからないけど)の格闘シーンだ。

ネタバレはなるべく避けたいので詳細は言えないが、あれだけ動きのある、そして多くの人間が入り乱れるシーンを違和感なく撮れるののはすごい。

ワンカットが話題になる映画は最近増えてきた感があるが、その中でも見ごたえがあると思う。

「これどうやって撮影してるんだよ!」となること請け合いだ。

 

美人スパイが華麗なアクションで騙し騙されの情報合戦を行う

とかいうフェチズム丸出し映画だったが、なかなか楽しかった。

「俺はこういうのがイケてると思うけどお前どう?」みたいな監督のメッセージが臆面もなく出ていて良い。

随分とクラシックな設定と、ややノリ重視のストーリーだったが、アクションの見ごたえを考えればお釣りが返ってくるだろう。

「頭使わずに読後感さっぱりアクションが見たい!」みたいな気分のときの最適解の一つだと思う。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

終わった人はぜひ見てほしい!監督のアクションの美学みたいなのが少しわかるかも。

 

『私の強みは目標へ邁進する持続力です。』

嘘をつき続けることは相当な心労になるということがよくわかる。

罪悪感とかそんなちゃちな言葉で許しを請いたいわけではない。

単純に自分を欺いているということが耐え難い負担なのだ。

あからさまに違和感のあることを言い続けなければならないので脳の認知がバグるのだろう。

 

もちろん、相手側も歯の浮くような世辞と感謝の言葉でこちらを応対してるのだから、実際、就職活動というのは何ら片務的なコミュニケーションではない。

平易な言葉で言えば「お互いさま」ということだ。

 

ただ、不誠実であることを双方が認知したまま、巧言令色の応酬を続けるのは大変な精神力がいると思う。

少なくとも自分にはない…

 

まあ、自分の嘘のほうが悪質だということは誇れる。

ブログすら半年弱放置してるしてるのに、持続力をアピールするなんて全くもって意味不明としか言いようがない。

 

 

 

 

…そういえば半年も放置してたんですね。

頑張って持続力を自己PRできるよう頑張ります!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最も好きなネーミングです。

♕ボヘミアンラプソディ♛

まず断っておきたいのが、「自分にとってQUEENが凡百のバンドとは異なる、特別なバンド」だということだ。

この話はかなり長くなるのでまたいつか。

 

つまり、「映画レビューではない」ということだ。批評するにはあまりにも思い入れ、バイアスが強すぎる。

 

なので、純粋な感想をつらつらと、というよりもゲロゲロと吐き出していきたい。

 

 

 

 

 

・楽曲のマジック

 

バイアス塗れの自分の目から見ずとも、1つ確実に言えることがある。

QUEENの曲は “最高” だ。ということだ。

個人的には楽曲の質も最高なのだが、そこはバイアスがかかっているはずなのでパス。というよりも一介の底辺ブロガーが言い直す必要はないだろう。

 

ここでいう“最高”とは「映画音楽として最高」ということである。

荘厳でポップでそれでいてドラマチックなのに決して安っぽくはない。歌詞もシンプルで明確なメッセージが感じ取れるものが多い。

また、その知名度はもはや言うまでもないだろう。

曲を聞く人々の心にすっと染み込み、悲しむ人を支え、怒る人をなだめ、楽しむ気持ちを増幅するような。聞き手に寄り添い感情を奮い立たせるような。そういった一種のマジックがQUEENの楽曲にはある。

そういった意味ではこれ以上ないほどに映画的な音楽だといえる。

 

その一方でこのようにパワーがある楽曲を使った場合、楽曲ありきの映画が出来上がるということは想像に難くない。しばらく前にビーチボーイズの有名曲を全面的に押し出した映画があったが、それを使用したという一点だけで延々と広告を打っていて非常に痛々しかった記憶があるが、皮肉にもこれはいい具体例だと思う。

 

その点で『ボヘミアンラプソディ』は全くコンセプトが違うと感じた。

曲ありきでも映画ありきでもなく、循環的にストーリーを紡ぎ出しているのである。

フレディやバンドの状況や心情を、曲が描き出すだけではなく、そうした状況や心情をもとに楽曲が生まれていくような構成はとても美しく、楽曲と映画そのものをどちらも引き立たせるための意匠がありありと伝わってくる。

楽曲がシーンを表現するという役割を超えた、いわばストーリー全体を伏線のように支えている点に強くそれを感じた。

ストーリーが後半に行くにつれて、それ以前にシーンに使われていた楽曲が表情を変えて、我々に語りかけてくるのだ。

そうした“伏線”がフレディの音楽、そして自らの生き方に対する想いや葛藤をラストにかけて見事に補完している。

もはや「QUEENの楽曲」という範疇に収まらない「『ボヘミアンラプソディ』の楽曲」と言えるほど、慣れ親しんだ楽曲群に新たな色彩を与えたその手腕には脱帽する。

 

 

 

 

 

・ストーリーとそのハイライト

 

QUEENはかなり息の長いバンドだ。

一度のメンバーチェンジも解散もなく、トラブルを抱えながらも20年活動し続けたバンドはそういないだろう。各時代とも旺盛な活動をしている。コンスタントにアルバムを出しているし、ヒット曲にも恵まれている。

だからこそ、どの時代に焦点を当て、どう切り抜き、何を描き出していくのかというのは非常に難しい選択だったと思う。

 

しかし、それも監督はうまくこなしている。

愛に生きた一人の人間としての、等身大のフレディマーキュリーからみた世界は、刺激的で孤独もありながらも喜びと絆に溢れた素晴らしいものだった。決して悲劇のヒーローを画一的に描き出すようなチープで独りよがりなものではない。

 

少々ネタバレになるが、ハイライトにライブエイドを持ってきたのも英断だろう。

確かにライブエイドはまごうことなき名演だ。10万もの観客の前でみせた、ブランクなどまるで感じさせないひたすらにアツいパフォーマンスは中年の落ち目だったロックスターとは思えない。

 

ファンとしてはライブエイドの他にいくらでも名演が挙げられよう。レインボーやヒューストン、エピソードに事欠かない来日公演など、それぞれ思い入れのあるライブはたくさんある。

SNS等でもそういった意見をチラホラと見つける。

 

しかしながらそれでもライブエイドがこの映画のハイライトであることに異を唱える人はいないだろう。

 

以前からのフレディの伸びやかなボーカルは円熟味を帯び、他方で休止期間を経てからのライブということで、音楽に対する情熱、若さが声に溢れている。また代名詞であるハードグラムオペラロックにとどまらない多種多様な、まさしく「ジャンル:QUEEN」な楽曲の数々。バンドとしての危機にまで陥っていたQUEENのその後の復活劇。

 

こういった魅力があるのはライブエイドならではだろう。QUEENをあまり知らない人はライブバンドとしての底力に驚いたのは間違いない。そしてライブ映像を映画として再構築した様は古参ファンも唸っただろう。まるで当時のオーディエンスかのように新鮮な気持ちでライブを楽しめたのではないだろうか。

 

また、フレディの出自や両親、セクシャリティやパブリックイメージ等、フレディの孤独さや闇が正面から描かれていたのも良かった。ファンとしては相当に見るのが辛いし、涙が止まらないようなシーンも多々あるが、だからこそ、メンバーや家族の優しさや愛に触れ闇が晴れていくカタルシスは大きいし、清々しい読後感が得られたのだろう。

 

フレディマーキュリーという、個性の塊であり、世界で指折りの有名人、しかも実在の人間をこれほどまでに生き生きと動かせるのはこのように練られたストーリーが為せる技だと言えるだろう。

 

 

 

 

・作中のディティー

 

ディティールは凄まじい。

まず、4人のルックスでファンとしては胸が熱くなったのではないだろうか?

奇抜なステージ衣装が多いが、それらをものの見事に再現してあり、そしてレッドスペシャルやVOXなど、ファンにはお馴染みのイクイプメントも全く安っぽくなく、それらを見事に着こなし、使いこなしている。

彼らの演奏シーンを見た瞬間に、「あの公演だ!」というフラッシュバックが止まらなくなるほどだ。

 

また、細かな会話や背景に仕込まれたネタは、ファンであればニヤついてしまうようなものばかりだ。フレディ、ブライアン、ロジャー、ジョンがついそこで会話をしているような小気味良い会話はそうしたディティールがあってこそ。相当研究したのではないだろうか。

 

そしてレコーディングシーンやライブシーンに使われている音源も、確証は持てないがどうやらテイク違いやオリジナルアルバムにはないものが多々ある。(と思う…自信はない…)

こういったところもよりなまなましく、「伝記」としての迫力を増していると思う。

 

冒頭にも言ったように、自分はQUEENが大好きではあるが、残念ながらマニアと言えるほど詳しくはない。だから、勘違いもあるのかもしれないが、それでもこうしたディティールと史実と演出が有機的に組み合わさって、より映画の完成度を高めているということには異論はないはずだ。

 

 

 

 

・どんな人に勧めたいか

 

これまでキモオタならではの早口でまくし立ててきたが、結局のところQUEENを好きになってもらえればいいのである。ここだけ見てもらえればいい。

 

まず、断言するがこの映画を見た人は間違いなくQUEENが好きになる。大名盤QueenⅠ・Ⅱ等のオリジナルアルバムや、ライブエイドやらレインボーやらのライブ盤、ましてやジュエルズやグレイテストヒッツでさえ、『ボヘミアンラプソディ』ほど魅力を凝縮出来てるとは言えない。これだけファンが言うのだから信じてほしい。

 

また、音楽映画として非の打ち所がない。

こんなに効果的な音楽の使い方をする映画はなかなかないのではないだろうか?

少しは音楽映画を見てきた自負はあるので信じてほしい。

 

そして何よりも、映画としての満足度が非常に高いのだ。

ロック映画とは思えないくらいCMを打ちまくり大衆にアピールしてたのも、ひとえに「見てもらえればどんな人間も楽しめる作品だ」という自負の現れだろう。

 

 

よっぽど洋楽が嫌いか、映画が嫌いかじゃない限り、万人が楽しむ余地があると思う。ほんとに。

 

なのでIMAXで2000円かけてみてほしい。

二郎2,3杯我慢してほしい。

青山とかで食ってるやつは一色で事足りるだろう。

高校生は1000円なので見ろ。

 

そしてもしよければ自分のようにQUEENを足がかりに洋楽や70's、60'sの音楽をdigってほしい。

こういうドラマを持ったバンドが沢山いた時代だと思うので…

 

 

・まとめ

 

ボヘミアンラプソディ』は、ロックバンドの映画である前に、愛や絆やコンプレックスや若さと老い、成功や失敗、ひいては“人生”をつぶさに描いている。それは普遍的で誰の心にもあるものではないだろうか?

マニアやファン向けのコアなもの。一過性のブームで終わるもの。ただ事実を叙述しただけの“映像”。

 

そういうものではなく、長く愛される“名作”になっていく作品だと自分は確信している。

 

この映画は単なる記録でも伝記でも、あるいはファンや監督の独りよがりでもない。

 

70'sというロック激動の時代から生き抜いてきたバンドの物語であり、

苦悩を抱えつつも圧倒的なカリスマと尊敬を集めるアーティストの物語であり、

自由を求め、古いものを打ちこわし切り開いていった一人の英雄の物語であり、

打ちひしがれながらも、愛すべき誰かを探し続けた一人の男の物語であり、

そして我々それぞれが持つ、それぞれの“QUEEN”という物語である。

久々に長文を書きました。こんな文でもQUEENへの愛が伝わって、あわよくば伝播してくれると幸いです。

このままfilmarksにぶち込むので見つけてもほっておいてね

ゴッドオブウォーをクリアしたのでレビューを書きます。(ネタバレなし)

 唐突ですが、PS4の新生GOWゴッドオブウォー)、今更ながらクリアしました。

 

 

先に言っておくが過去作のGOWは何作かやってはいるものの特段そこまで思い入れがあるわけではない。

 

 

 

ないのだが、

 

 

 

純粋に面白い。

 

 

 

 

洞窟や神殿にこだまする呻き声と勝鬨、宇宙や世界規模のスケール感の大きなストーリーと登場“神”物、そんな相手の神を震え上がらせる程の勇猛さで破壊と暴虐の限りを尽くすクレイトス。こういう世界観は好みではあるが、

 

 

 

胃もたれするでしょ、そら。

 

 

もちろんそういった自分の身体の何倍もある神々を打ち倒す楽しさは筆舌に尽くしがたいし、ハードでパワフルかつスタイリッシュ、バトルにおける“俺はこのモンスターをブチ殺してるぜ”感はなかなか他のゲームが比肩し得るものではないが、一方、ステージはどこも似たりよったりな洞窟と神殿が殆ど。そしてスパルタの亡霊の性なのか、プレイ中延々とモンスターを殺し続けるだけになる。

そしてストーリーは正直良く覚えてない…

とにかく殺さなきゃいけない奴を殺し続けるだけであるから、あまりシリーズ毎に代わり映えしないという感じがする。

 

しかしそういった過去作と比べ、大きく殻を破ったものが出来上がったと思う。

 

そんな驚きをくれたサンタモニカスタジオに感謝を、そしてまだやってないゲーマーにおすすめを、という意味でレビューを書いていきたい。

ネタバレは多分しない。

 

 

  • 戦闘・アクション

 

まず、多くのプレイヤーにとって最も重要であろうアクション面であるが、やはり長年のノウハウがあるのか、新たなゲームデザインになっても、我々の期待を裏切らないものと言えよう。

序盤はなかなかに辛い。敵は固いし、クレイトスさんはすぐに死ぬし、技のバリエーションも少なく、新技である斧投げやパートナーである息子との連携アクションも慣れるまではボタン操作が忙しく相当しんどい。ハードで始めたが、3割くらい進めたところでノーマルに変えてしまった。

しかしながら、やはりゴッドオブウォー、クレイトスさんもカンを取り戻したのか、スキルを得てからはこれまでのような息をつかせぬ乱打を見せてくれる。

そして詳しくは後述するが、装備を整えステータスが上がっていくと倒せなかった敵があっさり倒せたりするようになる。プレイヤースキルの上昇と相まって、なかなかの達成感を感じさせてくれる。

後半になると必殺技を出しまくれるようになるのだが、どの技もダイナミックで見ごたえがあるし、さすがアクションの金字塔であるタイトルなだけある。

 

  • ゲームシステム・デザイン

 

次にゲームシステムであるが、新生3部作一発目にしてはかなり仕上がっていると思う。

ネタバレになるので詳しいことは言えないが、フィールドは半オープンワールド的な中フィールドの中に小フィールドがいくつか在るという感になっている。

これまでの作品とは違い探索する楽しさがある一方、中盤までワープポイントが自由に使えず、また移動にもスピード感がなく、加えて行けるところがあまりにも限られていて、世界を旅している感じがあまりなかったのは残念なポイント。中途半端にやるならオープンワールドにしてほしい。

個人的には謎解きだけではなく、アンチャーテッドのようなスピード感あるステージギミックがあればより探索が楽しめる気がする。

また、探索をし、装備を整えていくことによって格段に強くなっていくというRPG的要素が加わった。装備によって防御力や筋力といったステータスが上昇し、レベルが上がっていくというシステムになっている(と思う)。

レベルをしっかりあげないとかなり苦戦をするが、レベルを上げればちゃんと倒せるようになっていて、なかなかいいゲームバランスである一方、レベルのシステムが分かりにくい(というか未だに同レベルが上がるのかよくわかってない)ので、経験値で能力値を直接あげるスタイル(龍が如くのようなシステム)でいいのではないかなとも思った。

 

  • 世界観・ストーリー

 

最後にストーリーやキャラクターであるが、ここが想像以上にグッときた。

今回のGOWは息子と親父のふたり旅という話を聞いたとき、クレイトスが他人と旅しているのは想像できないし、ましてや息子ともなると全く意味が分からなかったのだが、息子はどうしてかチャーミングでとても闊達な等身大の子供という感じで、旅の最中もずっと喋っているのが新鮮でこれまでは無味乾燥なきらいもあったステージ攻略をとても明るいものにしてくれている。また息子以外のキャラクターも少ないながら誰しも魅力ある人物であった。

そして、ストーリーが進むにつれ、旅や出会ったキャラクターたちを通して成長していく息子の様子は微笑ましいし、その息子の成長と呼応するように、クレイトスまでも人間として、神として、男として、そして父として成長していく様はなんだか胸が熱くなるし、次回作以降どのような成長を遂げるのかが非常に気になる。

そうした子供が次第に大人へと、戦士へと男へと、また二人の関係性が、親子としてより強い絆へ変わっていくというのが細やかな演出によって多分に感じ取れた。何気ない会話や仕草によく現れている。クリエイターのこだわりには脱帽だ。

まさかGOWでこんな気持ちになるとは思わなかったが、シンプルで明快なストーリーだからこそ、強いメッセージを込めることができたといえよう。

 裏エンド?的なやつは少しお粗末だったかなと思ったけど、まあ良くも悪くも大したことはないので良しとしよう。

何よりも殺戮と暴虐ではなく家族や人間を描いているという点で大きな進化だと思う。

 

  • おわりに

 

想像以上に長文になってしまったが、それだけ言いたくなるくらいのゲームだったと思う。

レベルシステムやフィールドの移動やステージギミック、多すぎる収集物、等々もっとブラッシュアップしていけばウィッチャーやスカイリムにも匹敵するようなゲームになると思う一方、何でもオープンワールドで、RPGでいいのかなとも思ってしまった。

しかし、サンタモニカスタジオが出した回答はこのゲームだった。であれば徹底的にアップデートしていけばいいと思う。

凶暴な神でもよき父になったように、いつまでも同じコンセプトのゲームを作り続けることはない。

何よりもクレイトスが広大な世界を暴れまわる様子を見てみたいし。

次回作も頑張って下さい。

まごうことなき良作だし、そのわりに何故か安いしのでアクション好きのゲーマーは今すぐに買え。

 

くぅ疲

“友達リセット”を知っていますか?

自分がよく言われる言葉に

「mrkmは社会性がないね(笑)」

というものがある。趣旨が同じようなものも合わせれば、何回言われたか分からない。

 

しかし言われ慣れてるのに加え、根がアホなので、

(いやいや、少なくとも自分とお前は友人“関係”にあるのだから、社会と関わりがあるやんけwww)

というような言葉尻だけを捉えた超絶ポジティブシンキングによって無視できるものとしてきた。

 

しかしながら社会性とはなんなんだろう。

そのぼんやりとした輪郭は認識できるものの、明文化するほど確かなイメージは持ち合わせていない。

Wikipediaさんによると、

 

『社会性(しゃかいせい、英:socialityまたは英:sociability、仏:sociabilité)とは集団をつくって生活しようとする人間の持つ基本的な傾向。本能的なものと考える説がある。』(出典:wikipedia

 

ということらしい。

「な〜んだ!俺にも社会性あるやんけ!これまでいろんなコミュニティにも属してきたし!!」

とまた楽観的に捉えていたが、一考してみると恐ろしいことに気付く。

 

現段階で繋がりがあるこれまで属してきたコミュニティが一つもない、ということに。

 

端的に言えば、昔の友人がほとんどいないということだ。

周りを見てみると「地元メンで集まった〜」だの「〇〇の代マジ卍」だの、かつて属していたコミュニティをかなり大切にしてる人が多い。

一方、自分にはそれが一切ない。

少ないながらも友人はいたはずだ。クラスや部活などのコミュニティにも属していた。また、物理的な距離が遠いわけでもない。今すぐに繋がることのできる距離にある。

 

その原因こそが

友達リセット

という悪癖である。

 

新たなコミュニティに属した際、既存のコミュニティと一切関わらなくなるというのが自分の中での友達リセットの定義だ。

前述のとおり、物理的な距離や偶発的な連絡手段の断絶によりそういったことは起こりうることだろう。

 

しかし自分の場合はかなり徹底している。音沙汰なく連絡手段を断ってしまうのだ。

LINEなどはアカウントを消してしまえば連絡は届かなくなる。TwitterなどのSNSはそもそも現実で繋がりがある人に明かすことはない。

行方も知られずに消えおおせることができるというわけだ。

 

 なぜこんなことをするのかは自分にも分からない。自分が期待する他者と現実の違い。コミュニティの価値観の違い。それを埋める煩雑さ。説明はいくらでもつくのだが、自分の中で納得がいかない。

 

そして、最初から“社会”と関わろうとしないことと、関わってきた“社会”を全て捨て去ろうとすること。社会性という意味ではどちらがどの程度のものなのか。

 

もしかしたら「“社会”を捨て去ろうとする」ことが“社会”への関わりに他ならないのかもしれないが。

ただここで言いたかったのは単純で、こういうことは思いの外に普遍的なことなのかということを知りたいということだ。

そうすれば、ハッシュタグを山程つけた“レペゼン地元!”的なインスタに煩わされなくて済むかもしれないから。

なんか逃げるやつ

就寝: 4:00くらい

起床: 5:13

特筆する点: 仮眠

寝る前にカフェインをとった

記憶:話の筋は覚えてる程度

 

内容: 友人と駆け落ちしたはずなのに、気づいたら一人で逃避行。オウム真理教に狙われていて、ひたすら逃げる。理由は分からない。

テレビで彼らの逮捕を知り安堵をしていると、気付けばそこは自宅のソファである(俺はソファで寝ている)。微睡みながら祖母と父親がその逮捕のニュースについて口論している声が聞こえ、違和感に気付き起床。

 

感想: 起きたときまで覚えてる夢の殆どが、追われる夢と落ちる夢なので、例に漏れず追われていた。

焦燥感を感じるものの、スリルと相まって現実感は非常に希薄なのが、自分が見る追われる夢の特徴だ。(最も夢に現実もクソもないが。)

そして大体、殺されかけているが殺されたことはなく、今回もあっさり逃げ果せた。

 

冒頭に駆け落ちした友人(実在)は、早い段階(という表現が夢を記述するにあたって適切なのかは置いておく)でいなくなっていて、逃げるだけになっていたのがつまらない。ちゃんと駆け落ちしたかった。

 

 

というように夢日記をつけるのがこの駄文の掃き溜めの主目的であったのを思い出せたので書いていく。

 

ちなみにほとんど夢は見ない。記憶がないだけなのだろうが。

アドベンチャータイムについて

海外のカートゥーンアニメのカオスさといったら、アニメというカテゴリー外にもそうあるもんではない。

 

キャラクター自体は大人気で、女子高生や小さな子にも膾炙しているスポンジボブであっても、あのカオスさそのものが受け入れられているかと問えば首を傾げざるを得ない。

 

電脳ムシオヤジやピクルスとピーナッツに関しては笑うのがはばかられるようなシーンが殆どだと思うんだけど、海外の子供はああいうのを見て育っているんだろうか…視聴者層はどこなんだろう…

 

それはともかく、アドベンチャータイムのカオス感はほんとにちょうどよい。

ビュティじゃないけど目が飛び出たり、歯茎をむき出しにしたりといった、表面的で直感的なユーモア。

ポロッと漏れたエゲツないセリフであったり、ファンタジー世界でありながら妙に匂い立つ生活感のような、内面的で理知的なペーソス。

これらを両立させてポップなアニメ作品として、またウー大陸という世界を仕上げるバランス感覚って凄まじいなと思う。

そして、音楽や舞台設定の端々に現れるクリエイターのフェチズムが堪らない。

ファンシーでポップなキャラクターがレイヴのバキバキな音楽で踊り狂うのはATならではのユーモアでありペーソスなのかなぁと。

 本編はAパートBパートの構成なわけだが、そのアイキャッチにもどうやら元ネタがあるようで、またここにもフェチズムが見え隠れする。

 

確かにクリエイターの独り善がりはサムいのは事実。一部の人間しか面白がれないような内輪ノリ(声優ネタとか)や子供を無視したメタネタなどが持て囃されるのは違うなとは思う。が、クリエイターが独り善がりさえできず、視聴者の顔ばっか伺っているような、いまいち乗り切れてないような作品はもっとサムい。

そういった意味ではそういったフェチズムはクリエイターの熱意の現れなのかなと。

ATではそういったことが分からなくてもきっちり笑えるし、話の筋が理解できるようになっていると感じた。

 

インターネット等で自分の作品や考えを簡単き発信できるようになった今、手垢の着いた“一般大衆”を想定した作品も、ごく一部のみをターゲットにした内輪ノリのような作品にもあまり価値はないと思う。

ATで言えば「子供向けカートゥーンアニメ」というフォーマットが制約であり、足枷であり、表現の幅を広げているのかなと思った。

仮に放送コードもクソもない中こういうものを作れば、演出もよりえげつないものに出来るし、より責めた内容にできるかもしれない。

しかし、それによって「強い表現や演出」ばかりになると、一つ一つの表現や演出が持つ衝撃や力は弱まるだろう。

ハッピーツリーフレンズは相当えげつないゴア表現をしているが、それが終始続くため、本来そういったゴア表現が持つ意図性が弛緩させられて、ギャグとして受け入れられるようになっているんだと思う。

それとは逆にATでたまに見られるショッキングな表現(手足の欠損表現や死や薬物、性的表現)は、表現それ自体がポップな絵柄でされてようが、作中でサラリと流されていても、世界観を補完するような、リアルで真に迫るメッセージ性を持つのだろう。

 

この作品は整合性の取れたストーリーや確固たるメッセージ性を必ずしも分析する必要はない。(もちろん考察するのは楽しいが。)

世界観やキャラクターの魅力に浸るほうが、よりのめり込めると思うが、そのためには是非何話かまとめて見てほしい。

頭から5話くらい見ればウー大陸のもつ魔力、あるいは科学の虜になっている…

 

 

という奇特な人もいるかもしれない…(急に弱腰)

 

アフターアポカリプスやディストピア、具体例を出せばムーミン人類は衰退しましたが好きな人は楽しめると思う。

勿論、海外アニメ特有のスピード感溢れるドタバタスラップスティックが好きな人、単純にキャラが可愛いと思った人も是非『5話くらいまとめて』見てほしい。