“友達リセット”を知っていますか?
自分がよく言われる言葉に
「mrkmは社会性がないね(笑)」
というものがある。趣旨が同じようなものも合わせれば、何回言われたか分からない。
しかし言われ慣れてるのに加え、根がアホなので、
(いやいや、少なくとも自分とお前は友人“関係”にあるのだから、社会と関わりがあるやんけwww)
というような言葉尻だけを捉えた超絶ポジティブシンキングによって無視できるものとしてきた。
しかしながら社会性とはなんなんだろう。
そのぼんやりとした輪郭は認識できるものの、明文化するほど確かなイメージは持ち合わせていない。
Wikipediaさんによると、
『社会性(しゃかいせい、英:socialityまたは英:sociability、仏:sociabilité)とは集団をつくって生活しようとする人間の持つ基本的な傾向。本能的なものと考える説がある。』(出典:wikipedia)
ということらしい。
「な〜んだ!俺にも社会性あるやんけ!これまでいろんなコミュニティにも属してきたし!!」
とまた楽観的に捉えていたが、一考してみると恐ろしいことに気付く。
現段階で繋がりがあるこれまで属してきたコミュニティが一つもない、ということに。
端的に言えば、昔の友人がほとんどいないということだ。
周りを見てみると「地元メンで集まった〜」だの「〇〇の代マジ卍」だの、かつて属していたコミュニティをかなり大切にしてる人が多い。
一方、自分にはそれが一切ない。
少ないながらも友人はいたはずだ。クラスや部活などのコミュニティにも属していた。また、物理的な距離が遠いわけでもない。今すぐに繋がることのできる距離にある。
その原因こそが
友達リセット
という悪癖である。
新たなコミュニティに属した際、既存のコミュニティと一切関わらなくなるというのが自分の中での友達リセットの定義だ。
前述のとおり、物理的な距離や偶発的な連絡手段の断絶によりそういったことは起こりうることだろう。
しかし自分の場合はかなり徹底している。音沙汰なく連絡手段を断ってしまうのだ。
LINEなどはアカウントを消してしまえば連絡は届かなくなる。TwitterなどのSNSはそもそも現実で繋がりがある人に明かすことはない。
行方も知られずに消えおおせることができるというわけだ。
なぜこんなことをするのかは自分にも分からない。自分が期待する他者と現実の違い。コミュニティの価値観の違い。それを埋める煩雑さ。説明はいくらでもつくのだが、自分の中で納得がいかない。
そして、最初から“社会”と関わろうとしないことと、関わってきた“社会”を全て捨て去ろうとすること。社会性という意味ではどちらがどの程度のものなのか。
もしかしたら「“社会”を捨て去ろうとする」ことが“社会”への関わりに他ならないのかもしれないが。
ただここで言いたかったのは単純で、こういうことは思いの外に普遍的なことなのかということを知りたいということだ。
そうすれば、ハッシュタグを山程つけた“レペゼン地元!”的なインスタに煩わされなくて済むかもしれないから。