アドベンチャータイムについて

海外のカートゥーンアニメのカオスさといったら、アニメというカテゴリー外にもそうあるもんではない。

 

キャラクター自体は大人気で、女子高生や小さな子にも膾炙しているスポンジボブであっても、あのカオスさそのものが受け入れられているかと問えば首を傾げざるを得ない。

 

電脳ムシオヤジやピクルスとピーナッツに関しては笑うのがはばかられるようなシーンが殆どだと思うんだけど、海外の子供はああいうのを見て育っているんだろうか…視聴者層はどこなんだろう…

 

それはともかく、アドベンチャータイムのカオス感はほんとにちょうどよい。

ビュティじゃないけど目が飛び出たり、歯茎をむき出しにしたりといった、表面的で直感的なユーモア。

ポロッと漏れたエゲツないセリフであったり、ファンタジー世界でありながら妙に匂い立つ生活感のような、内面的で理知的なペーソス。

これらを両立させてポップなアニメ作品として、またウー大陸という世界を仕上げるバランス感覚って凄まじいなと思う。

そして、音楽や舞台設定の端々に現れるクリエイターのフェチズムが堪らない。

ファンシーでポップなキャラクターがレイヴのバキバキな音楽で踊り狂うのはATならではのユーモアでありペーソスなのかなぁと。

 本編はAパートBパートの構成なわけだが、そのアイキャッチにもどうやら元ネタがあるようで、またここにもフェチズムが見え隠れする。

 

確かにクリエイターの独り善がりはサムいのは事実。一部の人間しか面白がれないような内輪ノリ(声優ネタとか)や子供を無視したメタネタなどが持て囃されるのは違うなとは思う。が、クリエイターが独り善がりさえできず、視聴者の顔ばっか伺っているような、いまいち乗り切れてないような作品はもっとサムい。

そういった意味ではそういったフェチズムはクリエイターの熱意の現れなのかなと。

ATではそういったことが分からなくてもきっちり笑えるし、話の筋が理解できるようになっていると感じた。

 

インターネット等で自分の作品や考えを簡単き発信できるようになった今、手垢の着いた“一般大衆”を想定した作品も、ごく一部のみをターゲットにした内輪ノリのような作品にもあまり価値はないと思う。

ATで言えば「子供向けカートゥーンアニメ」というフォーマットが制約であり、足枷であり、表現の幅を広げているのかなと思った。

仮に放送コードもクソもない中こういうものを作れば、演出もよりえげつないものに出来るし、より責めた内容にできるかもしれない。

しかし、それによって「強い表現や演出」ばかりになると、一つ一つの表現や演出が持つ衝撃や力は弱まるだろう。

ハッピーツリーフレンズは相当えげつないゴア表現をしているが、それが終始続くため、本来そういったゴア表現が持つ意図性が弛緩させられて、ギャグとして受け入れられるようになっているんだと思う。

それとは逆にATでたまに見られるショッキングな表現(手足の欠損表現や死や薬物、性的表現)は、表現それ自体がポップな絵柄でされてようが、作中でサラリと流されていても、世界観を補完するような、リアルで真に迫るメッセージ性を持つのだろう。

 

この作品は整合性の取れたストーリーや確固たるメッセージ性を必ずしも分析する必要はない。(もちろん考察するのは楽しいが。)

世界観やキャラクターの魅力に浸るほうが、よりのめり込めると思うが、そのためには是非何話かまとめて見てほしい。

頭から5話くらい見ればウー大陸のもつ魔力、あるいは科学の虜になっている…

 

 

という奇特な人もいるかもしれない…(急に弱腰)

 

アフターアポカリプスやディストピア、具体例を出せばムーミン人類は衰退しましたが好きな人は楽しめると思う。

勿論、海外アニメ特有のスピード感溢れるドタバタスラップスティックが好きな人、単純にキャラが可愛いと思った人も是非『5話くらいまとめて』見てほしい。