映画「JOKER」の批判について思うこと ①

えらく今更な気がするが、映画「JOKER」について思ったことがあるので書こうと思う。 品出しみたいな退屈なアルバイトをしてると一度飲み込んだものを反芻したくなってくるものなのだ。

ネタバレは少しあるかもしれない。

「JOKER」はプロットがかなりわかり易く、そのメッセージの解釈も容易な(少なくとも表面的には)映画だと思う。 やはり人間がどん底から這い上がり何かを成し遂げるという流れには、得も言われぬカタルシスがあると思う。 「キルラキル」にせよ「STEINS;GATE」にせよ、「John Wick」「Avengers:End game」にせよ、ヒットする映画の要素の一つとして、“逆襲”というものは重要なファクターではないかと思う。 「Avengers」など、

avengeとは

意味 主な意味 (正当な)仕返しをする,復讐(ふくしゆう)をする,仕返しをする,かたきを討つ,あだを討つ,復讐する,返報する

そのままズバリ、である。

人間は大なり小なり打ちひしがれながら生きていくものだと思う。 個々の辛い思い、記憶が知らずしらずのうちに想起され登場人物とシンクロする。 だからこそ登場人物が逆境から立ち上がり、敵を打ち倒すさまにカタルシスを覚えるのだろう。

ただ、こうした映画は叩かれやすいのも確かだ。 俺が思うにそれは、余りにも“わかり易すぎる”からではないだろうか。

こうしたストレートな作品は、観客の思考が入り込む隙間が少ない。 言ってしまえば、アトラクションに乗るがごとく、享楽に身を委ねさえすれば楽しめてしまう。 したがって、こうした楽しみ方をしない、出来ない人、つまりは“ノらない人” “ノれない人”達は、なにか物言いをしたくなるのだろう。

実際、「JOKER」の批判を掻い摘むと、

「ストーリー、メッセージに合わせて登場人物を描きすぎ」 「オマージュ元の作品に影響受けすぎ」 「浅い」

等々言われていたように思う。(ソースはない)

確かに、『社会に包摂されない“無敵の人”の逆襲』というテーマは力強くはあるが単純だ。 この作品は「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」を受けた作品だと思うのだが、この2作品がかなり仄暗い終わり方をしているのに対して、今作のラストは比較的あっけらかんとしていると思う。

またミステリアスで得体のしれない狂気にカリスマがあるジョーカーに対して、見た人誰もが憐憫を垂れるようなキャラ設定を与えてしまえば、そのメッキは剥がれてしまうのではないか。 同様に「バットマンシリーズ」で人気の高い、バットマン=ブルースウェインを支える、執事のアルフレッドを、作品の都合上悪役にしてしまうのは、シリーズファンとしては面白くないだろう。

このように日本では絶賛が目立つ一方、こうした意見も多かったように思う。(ツイッターでは) 特にアルフレッド、そしてブルースウェインの父親であるトーマスウェインの扱いに対しての忌避反応は相当なものがあった。(ソースはない)

それはこの二者が「バットマンシリーズ」においての、いわば聖域だったからだろう。

続きはまた今度書く。 なぜなら卒論が未だに手つかずなのだ。 こんな文章を書いてる場合ではない。